ブログ

野宿1か月。 裸足、サンダル、ぼろぼろ姿…。それでも地元で申請できない理由は…「あいつ」がいたから。:SOSの途中②

 昨年秋。FBに来た井口満さん(仮名59歳)。「朝から何も食べていない」という。10日前に仕事を辞め、宇都宮で新しい仕事を探そうと県北のA市から出てきたと…。とりあえず、寄付のパンを食べていただいた。
 フードバンクは、駅前の「若者サポートステーション」で聞いた。「カップ麺と3,000円をもらい、昨夜はネットカフェ泊」と語りだした。10日前に、県北のアパートは引き払い宇都宮駅に来たが、当てはなく駅構内・公園で野宿。昼間は駅前のハローワークで仕事探ししていたようだ。

 聞いたことには応えるが、「独りになりたいから仕事を辞めた」「今月アパートの更新月だが契約解除になっていない」「家賃は11月分まで払っているので11月末まで住める」「来週には、最後の給料が3万円振込まれる」などなど、井口さんの訥々と語る言葉がどうも釈然としない。辻妻があわないので、宇都宮で仕事を探し生活する、は本意ではないのでは?と思いながら、こんなやり取りが20分続いた。


 「仕事がなければ収入がないので生活保護を利用すべき、要保護状態」と話した。まずは振り込まれる給与3万円を有効に使い、A市に戻ることを勧めた。そのため3日分の調理不要な食品を支援した(つもりだった)。


 2日後の朝、まだシャッターの閉まっている事務所の前にたたずむ井口さんの姿。「昨日の昼までに全部食べてしまった」と。とりあえずカップ麺を食べさせる。額は不明だが借金があることが伺えた。それで「逃げてきたのか?」と類推した。いずれにしても明日お金が入るはずなので、A市のアパートに帰り、仕事探しを始め、そのうえですぐに収入は確保できないので、A市役所へ生活保護の申請を行うよう促した。1日分の食品を渡し見送った。

 一応フードバンクの支援はこれでお終いと思っていた2週後の11月10日、突然、靴下も履かずサンダル履きのぼろぼろの姿でフードバンクに現れた。霜焼けで靴が履けなくなったようだ。「A市に帰ったのではなかったのかい?」思わず叫んでしまった。寒さも厳しくなってきたこの頃、市役所の正面玄関軒下で3日間ほど守衛さんに追い出されながら夜を過ごしていたらしい。所持金は30円。そのお金は宇都宮社協からA市に戻るための交通費で、昨日お腹が空き過ぎてコンビニでパンと飲み物を買った残金だった。もはや、パンを食べさせて「じゃ!元気でね」というわけにはいかず、少々怒り、怒鳴りながら様子を聴きだした。


 「A市役所へは行きました」本当に市役所・生活保護申請に行ったのか疑わしいので、A市の窓口へ電話で問合せしてみた。「確かに窓口へ来ています。その後は何もありませんね」とのことだった。「市役所へ行ったときに“あいつ”がいたんです。“林”というやつですが…」。「関わりたくなかったので、会わないようにA市役所から出ちゃいました。」その“林”という人物に10年来付きまとわれ、何かとお金をせびられていたようであった。突然仕事を辞めてしまったことや、貯えもないのにA市を飛び出してきた理由が少し分かってきた。


 最後の給料が振り込まれてから一応A市に戻り、A市での生活保護利用を本人は真剣に考えたようであったが某“林”の存在が恐怖となり2~3日で宇都宮に舞い戻ってきた。その後ティ・エム無料低額宿泊所にお世話になったが2日ほどで飛び出した。

 翌月になり、空腹でめまいがして救急車で病院へ搬送される。

 その後、夜にはティ・エムの玄関前で夜明けを待ち、朝出勤してきた所長さんに「もう一度泊めてもらいたい」と直談判したが「きちんと手続きを経ないとダメだ」と言われ、ホームレス状態から脱却はできなかった。こんな話を聴いてしまうと「生活保護を申請し利用しながら生活を建て直すのが最善の道だ」と本人に諭し、説得をするほかはなかった。
 それから、井口さんを市役所生活福祉課へ連れていき生活保護の申請に同行支援した。足が痛いので歩けないという井口さんを叱咤激励しながら30分かけて市役所へ歩いていった。

●無料低額宿泊所とは (栃木県のHPより) 
 無料低額宿泊所とは、社会福祉法(昭和26年法律第45号。以下「法」という。)第2条第3項第8号に規定する「生計困難者のために、無料又は低額な料金で、簡易住宅を貸し付け、又は宿泊所その他の施設を利用させる事業」を行う施設のことです。
――――栃木県内には3箇所あるらしい(そのうちティ・エムは宇都宮市内にある)

(FB通信12号より)

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP